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天から与えられた使命を生きる。

文字に書いてしまうと神話塾生にとっては「あったりまえじゃーん」ってことなのですけれども・・・
(2017/7/12)

 

2016年10月に神話塾の最終日を終えてから、8か月が過ぎました。

最終日から今日まで、その時々の出来事を通じて段階的に「パーソナルクレドと自分との調和」が進んでゆき、

そして、それは今もこれからも続いていくことを実感しています。

 

 「その後」の日々は、神話塾を終えたから「悩みがゼロになった」「すべて順調!」ということでは、もちろんありませんでした。

 

それは、これからもそうです。ただ、「明らかに以前の自分とは違う」のは確かであり、その「自分の変化」によって悩んだり、迷ったり、心がモヤモヤすることが激減する。もしくは、短期間で解消できるようになっていくのです。

 

 5月の中頃、私は「神様目線」というひらめきを得ました。

「私ったら、神様💛」ということではありません。

 

「神様はどのようなお考えでこのようなことをなさるのか?」という視点で物事を体験するのです。もちろん、すべての事象は「天の計らい」「起こることはすべて決まっている」という前提です。

 

ですから、神様の「お考え」をあれこれ推理するのではなく(そんなことは、人間には分からないのですから)、それらの事象をどう受け止め、どう感じ、どう対処していくのか、その行動を決めるのは「自分次第」。ですから、まずは「神様目線」が大前提にあることを思い出すわけです。 文字に書いてしまうと神話塾生にとっては「あったりまえじゃーん」ってことなのですけれども、そうはいってもそこに至るまでには、私自身、紆余曲折がありました。

 

そして、結論としては。

 

神話塾が終わった後も気分が「落ちる」出来事がしばしば起こる

その都度、原点に戻る(神話塾の復習をする)

 

 それを繰り返していけばいい、ということがよーく分かりました。

 

 もう少し具体的に「何があったのか?」を記します。

 

昨年の11月から1月末にかけて、仕事が大変、忙しくなりました。私はフリーランスのライターをしているのですが、週に2~3本の締め切りがあり、ひとつを終えると次の原稿、というような感じ。

 

神話塾の受講動機のひとつに「売り上げへの不安や悩み」があったので最初は「やったー!」という感じでしたけれども、多忙な日々を過ごすうちに、忙しさを大歓迎はしていない自分、好きな仕事とそうでない仕事があるということに気づき始めます。

 

疲れから不注意になり、夜、自宅で家具に左足の指をしたたかにぶつけ『折れているに違いない』と思うほどに腫れあがったことがありました。体の不調はココロの声。進んでいる方向が違うということなのだと、痛い思いをしてやっと納得したのは『お仕事をいただけるのはありがたい』とか『これらの仕事のギャラをトータルすると、かなりの金額になる』という思い(エゴ)だったわけです。私の魂が望んでいることからズレていませんか? ということに痛い思いをして目が覚めたってことですね。

 

 これらの仕事がひと段落し、2月に入ると今度は「え?」というぐらいの停滞期、ようするに「ヒマ」が訪れました。多少、ヒマをしても、その前にかなりの金額のギャラを稼いでおりますので「ま、いいか。季節労働者ってことで」と思うことができました。「天の計らいのすばらしさ」を実感しつつも、ヒマが続けば時間もたっぷりあるわけで、焦る日もあれば、落ち込む日もありました。友達との関係も「え?」って出来事が起きたり、その他諸々、心を乱す事象が起きました。

 

この時期、私の中にはまだ、「他人の神話」「世間の神話」にとらわれている部分がある!と気づき「書いて燃やしてトイレに流す」ワークをせっせとしました。

このとき「書いた」ことは相当に細かい内容で多岐にわたりました。ワークも数日にわたり、複数回、行いました。

 

 ひとしきり、「世間の神話」「他人の神話」を解放した後、4月に入ると、プライベートの予定もキャンセルや変更が相次ぎました。完全なヒマ人です。一人仕事、ひとり暮らしの私は「独居老人」のごとくひっそりと暮らしていました。仕事量も少ないわけですが、その分、ひとつひとつに高い集中力を発揮でき、高品質な仕上がりとなりました。人に会っていないので、「打ち合わせ」でも嬉しくてたまらない。相手から見ると「栗原さんは、とても楽しそうに仕事をしているなあ」と見えたことでしょう。

 

 この時期、デトックスマッサージを受け、体の疲れがすさまじいとう指摘を受けました。「この状態で病気じゃないなんて、不思議」とまでベテラン先生に言われ、「こっている割にはカラダが温かいし。風邪もひかないってことは免疫力も高いんだよねえ。不思議だねえ」という評価をいただきつつも「精神力で頑張ってきたんだねえ」と言われました。しばらくは、肉体のメンテナンスに集中しようと思いました。

 

 そんなこんなと過ごしているうちに、猛烈な睡魔に襲われはじめます。

もはや、お病気ではないか? というぐらいの眠り具合でした。発熱しているときですら、1日合計16時間も眠ったことはありませんので、本当にびっくりしましたけれども、マッサージの先生に「すごくダルい、眠いということになるかもしれない」とも言われていたので、気にせずにグーグー寝ました。瞑想→寝落ち のパターンも多かったです。

 

 

 ゴールデンウイークの後半ごろから、眠気もおさまり少しずつ私の手帳も活気づいてきました。

先日は、前々から約束していた山梨の友人を訪ねての一泊二日の旅行に行ってきました。彼女がハンドルを握ってくれ、霊場と名高い富士山麓のスポットへと連れて行ってくれました。すべての場所に「水」が勢いよくザーザーと流れており、枯れることなく、気前よく流れ続ける清流に道中ずっと「自然の偉大さ」に感動しつつ、私は助手席でずっと「神様目線」の話をしておりました。

  富士山麓に「浅間神社」という場所があるのですが、そこは、富士噴火に怯えた民のためにお祀りされたという歴史を持ちます。神社ができたことで、「これでひと安心だね」といにしえの人々は思ったんだね、ということに静かな感動を覚えました。

 

神や天や宇宙などの「大いなる存在の望み(計画)」、

「自分の意志」、「他人の意志」をひとつひとつ、分離して受け止め、行動を「自ら選んでいる」という意識。

その意識が薄れると、人は動揺し、混乱するし、つらい感情を持ち続けるのだと思うようになりました。

 

 

 自分にとって都合のよいものだけを受け入れて喜び、そうでないものは「嫌!」というのは単なる我儘ということは分かりやすい。でも、好きじゃないものでも「好きなふりをする」「好きだと思わなくては!」「素敵だと感じなければ!」「ありがたいと思わねば!」ということは、ついつい無意識にやってしまいがちなことです。

 

 そして、悩みの多くが「人の目」を気にしているから起きるわけですが、そういう状態のとき人は「他人のこと(言動)についてよく話す」という傾向があるのだと気が付きました。

あの人が嫌、あの人が苦手。こんなことをされた、あんなことをされた……。それらを羅列するだけの会話を好みがちになります。

 

それらの事象を自分が「どう受け止めて、

どう感じ、どういう風に行動や考え方を変えるか」というところまで落とし込めなければ、他人を通じて現れている「大いなるものからのメッセージ」には永遠に気づけない。

 

そして、この「落とし込み」をしているときに自分が感じる「負荷」は「天の計らいである」ことをどれだけ心の奥底から納得しているかと相関していました。

 

「腑に落ちている」の深度が深くなることに比例して「負荷」がどんどん軽くなっていくのです。「負荷」を強く感じるうちは、まだ、腹に落としきれていないというシグナルだと私は感じました。

このようなことを繰り返しながら「自分の神話」を生きる達人になっていけるのだろうなと感じています。

 

ですから、少なくとも学んだ期間と同じ期間、受講から1年は「神話塾の復習」に費やすこと。それが、近道なのではないかと私は思っています。「いろいろな参考書に手を出すよりも、1冊の参考書を徹底的に理解することが、受験対策として有効である」というのと同じです。

 

正直なところ、神話塾後の「停滞期」にヒマが発生したことへの焦りや不安から、いろいろなセミナーを受講してしまう、ドクターショッピングならぬ、セミナーショッピング現象への誘惑もありました。

 

でも、自動車の運転免許を取得するために教習所通いをしている人が、同じ運転免許だからといって「大型船舶免許取得」の教本を手にしないのと同じように。それは違う、むしろ復習が大事なのだ、と考えたのでした。

 

それでも、どうにもならなかったら、他のセミナーに参加するよりも前に、まずは、のむ子さんに個人セッションをお願いしようと思いました。でも、実践会に参加することで「自分の立ち位置」を客観視することができ、

また、同じ学びを経験した人たちとのワークやおしゃべりを通じて、迷いや焦り、不安を乗り越えることができました。思い詰めていた気持ちも「な~んだ」って拍子抜けです。

 

最初にこのレポートを書いたのは5月18日、その後6月9日に実践会に参加しましたので、少しだけ加筆修正することにしました。神話塾終了後、私はすべての実践会に参加しました。幸運にも在来線で行かれる距離なので気軽に参加できるのですが、実践会は私にとって「自分の状態のズレを調整する」、チューニングのような機会になっていることに気づいたのです。

 

日常生活に戻れば、世間の神話が圧倒的に優勢です。なので、知らず知らずのうちにブレたり影響を受けたりしてしまいます。どれだけズレているのか、ブレているのか。ひとりでは判断しづらくもなってきます。そんな中で私は実践会で他の期の方々と出会い、語り合う時間を持つ1日を過ごすことで、「自分の神話」を取り戻すことができました。

 

これまで3回、実践会に参加して「自分の神話」の軸を定着させてきたように感じています。 そうやって、少しずつは「自分の神話」を自分のモノとしてきたように感じています。 また、これから先の半年が過ぎたころに振り返ってレポートを書いてみたいと思っています。

  読んでくださりありがとうございました!

 

栗原貴子さん フリーライター

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