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天から与えられた使命を生きる。

お金を汚いものだと思っていませんか?~まっとうなビジネスをするために外すべき色眼鏡。
(2017/7/24)

こんにちは冨永のむ子です。

 

 

土曜日は

使命をひもとくグループセッションでした。

 

午前に行ったコラージュリーディングで

今の自分の状態や本心がありありと出てきたと思ったら、

午後の鑑定タイムでは、

その出てきた本心につながるキーワードが

ざくざく出てきて、

鳥肌出るわ涙でるわの場になりましたが、

本当に大切なことに気づいてくださる機会となったようで、

 

感謝です。

 

 

さてさて、本題です。

 

 

みなさんがお読みくださっているこのメルマガの記事を、

たまにFBに広告を出します。

 

 

広告を出すことって、事業を広げるうえで普通のこと。

 

神様に応援されてるならば、本当に良いものならば、

ただ何もしなくてもいつか人が気づいてくれる、集まってくれるとか

誤解してうじーっとしている人いますけど、

 

 

何もしないなら何もしないなりだし、

本当に良いものならば、人を集めるためだけじゃなく

多くの人に伝えていくことが大事でしょ。

 

 

そう思ったら、

広告を出すことはやましいことじゃないし、

広告というメディアを使って事実を丁寧に伝えることは、

だますことでも操作でもないですよね。

 

 

広告は知っていただく手段の一つであり、

そこにお金を投じることは。

 

事業を行う上で普通の営みの一つでもあります。

 

広告=だまされるやましいもの、って思っている方も、

結構いるみたいだけど、

 

それは広告が問題なのではなく、

出す側、や広告の内容の問題なんですよね。

 

 

内容がやましければ、やましい広告になるだけで、

手段という手段そのものがやましいわけではありませぬ。

 

 

今は、個人事業主でも気軽に、 

それこそ数百円から広告が出せる。

 

でも気軽に出せるからこそ大事なのは、中身なので、

ただやみくもに出しさえすればいいってもんじゃなく、

 

 

やっぱりいつもお伝えする通り、

相手の役に立てるか。矢印が外に向いているか。

っていうのが大事なんだよねって思います。

 

 

広告= 詐欺っぽい、みたいな色眼鏡で遠ざけているとしたら、

その色眼鏡は外した方が、世界がクリアになりますね。

 

 

でね、

そういう想いで広告を出しているわけですが、

出すと不条理な反論や、意味のわからない暴言、

ちゃんと読んでないよね、っいう勘違いコメントなど、

いろいろやってくる時があります。

 

 

言論の自由だし、

その人にはその人の考えがあるし、それも神のはからいだから、

そこで反論や弁解はしません、

時間も無駄だしね。

 

 

けれど弊社のFBページは、

私が主催している場だから、私に権限があります。

 

なので場を荒らすと判断したコメントは削除して、

以上終わり!です。

 

 

人の尻馬に乗るのは時間の無駄だし、

 

一番しないほうがいいのは、

そのコメントにいつまでも

くよくようじうじすることかな。

 

 

私も最初からくよくよしなかったわけじゃないし、

もともと喧嘩っぱやいから、

売られた喧嘩は買いたくなるけどさ・・笑

 

 

でも、そういう想いが湧いた時に、

そんな自分も認めながら、何に意識をフォーカスするか、

何が大切なのか、

矢印の向きを確認することを繰り返していくうちに、

 

いつの間にか、

たんたんとスルーして終わり、ってなりました。

 

何事も練習だし、慣れでもありますね。

 

そういう意味で不快なコメントの主がいるからこそ、

鍛えてもらえたから、そこはありがとうって感じですね。

 

 

私が強くなったからなのか、

否定的なコメントは格段に減りましたが、

 

 

先週、出した、

 

おてんとうさまに恥じない生き方をしよう、みたいな記事に対して、

 

「ほんとうにそう思っているなら

商売にするのを辞めなさい」っていうコメントがありました。

 

 

たまにそういう考えの人が、

講座にいらしたりしますが、

たいがいがスピリチュアルなことを

中途半端にやっていそうな人で・・・

 

いつもはスルーなんだけど、

 

今回それを読んだとき、

 

この方の陥っている課題が透けて見えたんですね。

 

 

そして、きっと多くのセラピストやヒーラー見習いの方が

そこにつまづいているんだなって気がしたの。

 

 

なので、 

ネタをくださったその方に感謝しつつ、

 

みなさまに還元したいと思います。

 

あ、ここからがようやく本題なのかな。

 

 

スピリチュアルなこと、

目に見えないものを扱うことでお金をもらうのは、

いけないことだって思っている人、けっこういます。

 

 

お金は汚いもの、って思ってる。

お金の話はしないもんだ、とか。

 

あなたはいかがですか?

 

でもさ、何を根拠にお金は汚いものだって思うんだろう。

 

今の私たちの生活で

お金を使わない日はないくらい、

当たり前に存在しているのに、

 

それが

汚いもののはずがないよね。

 

営利目的で=悪だって思っている人がいます。

 

 

そんなこと言ったら、

ほとんどの会社員は悪の手先だし、

八百屋さんやお魚屋さんだって悪じゃない。

 

 

すべてのものはニュートラル。

自分で勝手に汚いってジャッジしているだけ。

 

 

そして、

お金が汚いってするならば、

そう思いこむだけの何かがあるんですね。

 

お金そのものが汚いのではなく、

 

その使い方が汚い場面に出くわしたり、

誰かにすりこまれたりしたんじゃないかなあ。

 

それは本質を見ないで、解釈が先走った結果ですね。

 

 

お金・・貨幣が誕生する以前の古代人は、

物々交換でお互いが助け合いながら生きていた。

 

 

お米を作る人と、お魚を採る人が、

お互いの持ち物を品定めして適切な量で交換した。

 

モノが作れない人は

力仕事などとモノを交換した人もいた。

 

 

でもいつも望む商品やサービスがあるわけじゃないし、

必ずしも欲しいものと提供できるものが一致するわけじゃない。

 

必要もないものをもらっても困ってしまう。

 

だから本当に必要としているものを

お互いが納得した手に入れるためにはどうしたらいいか、

 

お互いが持っているものと必要なものとを

わかりやすく適正に交換するためにどうしたらいいだろうか・・・。

 

 

そうした昔の人の試行錯誤の中で、貨幣が生まれたわけです。

 

 

だからお金は

 

お互いが本当に必要で大切にしたいもの同士を

等価交換するためにできた素晴らしい道具なの

 

 

そうやって生まれた貨幣経済という仕組みと、

そのツールとしてのお金、

汚いですか?

 

そんなことないよね。

 

お金が汚いんじゃないよね。

 

必要じゃない人に無理やり売りつけてしまったり、

 

価値に見合わないものを押し付けられたり、

 

ぼったくったりだましたりしてまで、

多くのお金を手に入れようとしたり、

 

あるいは

考えなしに恐れに支配されて、

やみくもに、払ってしまったり、

 

不当にため込もうとしたり、

 

そういった 

お金に目がくらんだり、

お金に支配されてしまった

エゴにまみれた心が汚いんじゃないの?

 

 

お金が汚いんじゃなくて

使う人の心が汚いんじゃないの?

 

 

 

それをお金のせいにするのは、お金さんに失礼じゃない?

古代人の知恵に失礼じゃない?

 

 

で、私のような目に見えないサービスを、

無償で提供しろって一方的に言うのも

おかしな話ですよね?

 

 

神様に応援されてたら、

通帳にお金が勝手に入ってくるの?

 

その方が怪しいじゃんね。

 

 

まっとうに、やって、

まっとうにいただく、

それがこの地上を生きる私たちに大切なことだよ。

 

 

目に見えないから、価格がつけにくいからか、

 

人の弱い心を利用してぼったくる

宗教団体があったせいですかね。

 

 

もちろんお金や時間が有り余っていて、

ボランティアで奉仕しても

全く問題のない人もいるでしょう。

 

 

でも、さっきも言ったけど、

仕事にすること、営利目的=悪

ではないよね。

 

 

仕事・・はたらくことは(はた)を楽にすること、

そうやって相手に喜んでいただいて、

それにふさわしい対価をいただくことは、

汚いことでもやましいことでもありません。

 

 

そして、

金額はお互いが感じる価値の等価交換なんですね。

 

 

等価交換が前提だけど、

払う相手が高い価値、「これで〇〇円なら安いわよ」って

感じるくらいがちょうどいいんじゃないかな。

 

 

だからって、むやむやたらに

安くする必要はないんですよね。

 

 

欲の皮が厚くなっていると、

安く値切って、奪いたいとか、

ぼったくりたい、とか、

とにかく損したくない、得したい、

 

みたいな感情はあるだろうけれど、

 

人としてまっとうであれば、

 

売る側は

自分が精魂込めて生み出したものには、

その価値をわかり支払ってくださる方に

提供したいだろうし、

 

 買う側は、

ちゃんとしたものには、

気持ちよく適切なお金を払いたい、

 

それは当然のこと。

 

 

なぜならそれはエネルギーを適切に循環させている、

自然の摂理だから。

 

 

動物は、お腹がすいていたら、

すいている分だけの量を食べますよね。

 

お腹ぺこぺこなのに、見栄で食べないとかないし、

遠慮することはないし、

でもお腹がいっぱいになったらそれ以上は食べない。

 

エネルギーを自然に循環してるよね。

 

人間も本来はそのはず。

 

だから、自分にとって価値のあるものは、

適正価格で交換したいはずなのね。本当はね。

 

でも、今の経済活動では、

モノもサービスもあふれているから、

買い手に選ぶ権利がありますね。

 

 

だから、 

適正でちょっとお得に感じるくらいが

嬉しいのかもしれません。

 

得したい、は人間の性なのかな。

かわいいよね。そのくらいは。

 

 

だから、サービスを提供する側は、

むやみやたらに安くするのではなく、

 

自分が心地よくいただける金額の設定した上で

お支払いいただいた以上の価値を

提供する努力を徹底的にすべし!なの。

 

私の講座は、どれもそれなりの金額がします。

 

最初から現在の金額だったわけじゃなく、

毎回全力で努力していくうちに、

自然に値上げのタイミングが来たし、

 

それに伴い、来てくださる方も

それに見合う覚悟をもっておいでくださる方になった。

 

 

覚悟をもっておいでくださった方々は、

どの講座についても、

これでこの金額は安いくらいです、

という言葉をいただいています。

 

 

自分の神話塾、お得です。

ってSNSで書いてくださってた方もいたくらい。

 

 

お得って、特売品とかバーゲンとか、

安さを売りにしたものだけを言うんじゃないんだよ。

 

 

払った以上の価値を受け取ったと相手が感じたら、

その感動をこめていただける賛辞の言葉でもある。

 

どうせなら、安さに喜ばれるよりも、

価値の高さに喜んでいただく方がよくないですか

 

 

もちろん安いのがダメってことじゃないのです。

 

 

でも、安さを売りにするのって、

資本がたくさんある大手じゃなければ難しい。

 

 

個人でビジネスするならば、

価値を極めていく努力をしていく方が

無理がないんじゃないかな。

 

 

そう、ここ・・価値を出す、というところがポイント。

 

お金をもらうことに抵抗がある人は、

 

多くの場合、

価値を出すことに意識がむいていないんです。

 

 

もらうことばっかり気にしてるから、

もらいすぎじゃないかとか、

いくらなら来てくれるかなとか、

高かったら払ってもらえるだろうか、って考えになるのね、

 

 

それよりもまずは、

相手の役にどれだけ立てるだろうか、

 

どれだけ多くの価値を提供できるだろうか、

 

ってところを出発点にしませんか?

 

 

・・っていうことで、

お金は汚くなんかないよ、

 

そして大切に大きく回せば

日本経済も豊かになるんだからね。

 

・・・お金のこと、広告のこと、発信について

価格設定についての考え方など、

 

あなたがかけている、思い込みの色眼鏡、

一つ一つ外しませんか?

 

ビジネスマインド講座でお待ちしていますね。

 

 

 

 

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