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株式会社パーソナルクレド舎

その被害者ぶりっこを辞めたら、幸せが雪崩のようにやってくるかもしれません。

その被害者ぶりっこを辞めたら、幸せが雪崩のようにやってくるかもしれません。

12月 28, 2020

こんにちは冨永のむ子です

先日、自称世界一幸せな自分って書いたんだけど、

母や夫との関係性、

最初からうまくいっていたわけではないのです。

 

でも「私は可哀そう」っていう被害者意識さえ手放せば、

大切な人とのコミュニケーションはすべて自然にうまくいくんだよね。

で、二年前の私が言ってることは

やっぱりそうだよなって思うんで加筆修正し再掲載します。

・・・・・・・・・・・・

昨日は両親と夫が誕生会を企画してくれました。

子供たちはケーキ担当。嬉しいね。

 

 

幸せのベースは、家族だな(私にとって)と

しみじみありがたい時間になりました。

 

今でこそ夫や母ともとても
仲よく幸せに暮らしている私ですが、
周囲のすべての人と猛バトルな時代もありました。

その原因は全て、自分の中にある被害者意識。

被害者であり続けると、幸せになれないし、
どんなに自己啓発の講座に通ったところで、
自分自身もそして自分を取り巻く世界も、

変わっていくことはないかなあ。

でもその一方で、そこから抜け出したら、
あっという間に、うそのように、
自分を取り巻く世界が変わっていくのですよね。

この被害者意識、結構クセモノで、

自覚がないケースも多いのね。

たとえば

あなたは、自分の言葉や、
自分のとった行動が誤解を産み出してしまった時、

どんな気持ちになりますか?

誤解させてしまった・・・って

主語を自分に能動的にとらえるのか、
 

誤解されちゃった、。。。って、

相手を主語にするのか、

能動的か受動的かによって、
その人の現実は全く違う気がします。

それは言葉だけの問題じゃなく・・、

自分の物事の捉え方であり、

自分をどう見ているかがそこに現れているからこそ、
現実が全く違うものになるんですね。

ちょっとしたことなんだけど、
 

この違い・・とっても大きいのです。

 

クライアントの方から
こんなメールをもらいました。

・・・・・・
 

言葉の使い方って、
改めて難しいなぁと感じます。
きっと、いろんなところで誤解を受けて
損をしているのでしょうね(苦笑)

・・・・・・

詳細は割愛しますが、

自分の放った言葉を、
ご自分の意図していない意味で
受け取られてしまったことについて。

この方は、

自分は「誤解される」、
そして「自分は損をする」、と、

捉え方が、受動的。

その根っこには、「自分は可哀そう・・」っていう被害者意識。

物事を全て受け身で捉えていくためにそうなるんですね。

自覚がないケースも多々あるけれど、
自分以外の人やモノのせいにしているんですね。

でもね
自分の言葉が誤解されるってことは、

そこには相手がいるわけで、
相手側の立場からみたら、
その言葉に傷つけられているかもしれないわけで・・・。

 

だから「誤解された」って嘆いても、
見方によっては、被害者どころか、加害者かもしれない。

それが実際にどうかは、

裁判してるわけじゃないから、
どっちが悪いも良いも別にどーでもよくって、

重要なのは自分の捉え方・・・

主語をどこに置くかで、
物の見方は全く変わりますよね。

 

そして自分を主語にしたら、自分で変えられることに気づけます。

自分の本質を変える必要はありません。やり方、捉え方ね。
 

被害者であり続けると、
やり方すら変えられない。

被害者と思い続ける心の奥底のどこかには、
「だって自分は悪くないもん」って

いう気持ちがあるのね。

自分は悪くない、
自分を認めない相手が悪い。
自分を受け入れない相手が悪だ。

自覚があるかどうかは別として、
心のどこかにそういう気持ちがあるのです。

さらにその原因を過去や周囲に求めます。

だってお母さんが私をいじめた・・・
だって旦那さんが私を苦しめる・・・

過去に○○があったから、

私は〇〇なんだ・・・
私は可哀そうなんだ・・。

もちろんそう思うのは自由だし、

それがダメではないのです。

ただ、それを続けている限り、

幸せは遠ざかるし、

目の前にはごたごたや、
やっかいごとが山積みになるのだけは確か。

どんなに
目の前を変えたい、幸せになりたいって、
あれこれやろうとしても、

心の奥底で、
自分は可哀そう、自分は被害者って、
選択をしている以上、
 

自分は可哀そうで、
自分は被害者だという、
現実を引き寄せるのだから・・。

人間には自由意志があり、

自分が本当に願った通り、

ハラの底で意図した通りの自分になれる。

神様は人間にだけは、
それくらいの裁量を持たせてくれている。

どこまで行っても人間は自由です。

物事をどうとらえ、どう受け止めようとするか、
自分が選択することができるんですね。

その選択を放棄して、

不満の原因となる自分の思い込みや被害者意識を
誰かにお金を払って修正してもらったり、
駆除してもらおうとするのが流行っている気がしますが、

 

それ、能動的だから、やっぱり無駄なんですよね。

 

誰かにやってもらおうとするってことは、
ハラが何を意図してる?

 

自分にはできない=自分は可哀そうな被害者だ、
みたいな呪いを自分にかけてるってことだから・・。

 

だから、その通りになっちゃうんですよね。

 

じゃあ、どうしたらいいかって、

 

ただただ、今の自分を眺める。

認める。

 

思い込みがあるね、
被害者意識があるね、それで苦しいね。

 

みたいな・・・。

 

そうやって、その気持ちに光があたったら、
それらは浄化され、
自分を前に進めてくれる原動力に変わっていくんです。

精神論とか根性論を持ち出すつもりはなく、
苦しみなさいって言ってるわけじゃないんです。

むしろ反対。

苦しみをわざわざ大きくしないで。

可哀そうな自分物語を続けないで。

ってこと。

自分の意志で楽になろうよってこと。

自分の本当の気持ちに気づいてあげて、
そして、目の前のかかわる相手を大切に思えば、
人はいくらでも能動的になれる。
 

前述した「自分は誤解される。損をする」という

 

「恐れ」にフォーカスするのではなく、

「自分は誤解させる発言が多いようだけど、どうしたら相手に伝わるかな」と
ゴールに意識を向けて考えていくことかな。

 

やたら前向きである必要はなくて、
シンプルに相手を思うって感じ。伝わるというゴールに向けて・・。

 

わかってほしい、、わかって!と
自分本意に「ちょうだいちょうだい」星人やるんではなくてね。

最初からうまくいかなくても、

それを5回でも繰り返したら、
同じところで躓くことは減りますね。

そして、伝わらなくてもまあ、いいかな、
くらいの気持ちでいることをお勧めします。

だって、相手には相手の事情(能力や性格、考え方などなど)があるし、
それを操作することはできないから。

全ての人に自分を理解してもらおうとするのも、また傲慢ですもんね。

傲慢って言葉は、
ものすごく強い響きがあるかもしれません。

でもね、
強気でエラそうな態度ばかりが傲慢じゃなく、

むしろ・・・

「わかってもらえない、わかってよ・・」
って可哀そうなふりをして、
無自覚に相手を圧迫する場合もあって、

その方が、よっぽど相手に不快感を残すはずです。

だって、

強気でエラそうなら非難もされるけど、
弱気で可哀そうぶってると、そうはならない

分かってよ!と、自分が言葉で伝えることをしないで、
分かって欲しい!っていじけているって、

あんた何様?って思うでしょ? 子供かよって。

 

そうやって、弱気で可哀そうぶってると、
めんどくさい人だなって、
気が付かないところで、
人が離れていったりもして、

さらに可哀そうな状況が増えて行きますよね。

・・・と、随分辛辣なこと書いてるけど、

こんなに強きそうに見える私でも
そうだった時期がありました。

特に夫婦の間や母との間ではいつも私は被害者意識丸出しで、

母や夫とは喧嘩ばっかりだったにょよ。

ブログやFBを覗いてくださってるみなさんには、
そんなことは信じられないとかもしれないけど、
でも本当にそうだったんです。

両親と話す時は、すぐメソメソして、

母に、あんたはすぐなくからウザいと言われてました。
昔の人だから、ウザいという言葉じゃなかったけどね。

 

だからね、

私も被害者意識強いかもって思う方、
気づいた今はチャンスなのです。

あなたは本当は可哀そうな人じゃないんです。
 

そして、
主語は自分、
自分の言葉や行動はあなたがその気になったら、
いくらでも変えていくことができるよ。

良い人ぶって、自分を憐れんで、

いじけたままでいるよりも、
ずっとずっと未来が開けていくはずだから、

よかったら自分の物事の捉え方や、心の癖を
点検してみてくださいね。

それだけでも、
目の前に映るものがまるで違ってくるかもしれないので~。

 

 

というわけで今日はこのへんで。

お読みくださってありがとうございます。

感謝をこめて。

冨永のむ子

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