
Jun 22, 2022
チャクラ塾の受講者の方からの
「奇跡のような笑」報告です。
この声の主・・Mさんは
塾生の中で最年長の
70代半ばのマダム。
コメントを頂いた日は、
講座で第10チャクラの講義をさせていただいた翌日で、
瞑想の音源を配布したばかりのタイミングでした
物腰をやわらかくした感じのお方で、
とても謙虚に聞いてくださって、
先日は、高次元のチャクラの瞑想でしたが、
お散歩やクリアリングを、
コツコツ毎日なさっているせいか、
センサーがいい感じに開いてきたので、
これまでも、
クリアリング瞑想をすることで、
「体が温かくなりました」、
「まぶしい光に包まれて・・・」
「手がビリビリしました」、
といった報告はたびたびいただいていました。
先日の講義の時には、
瞑想で光をリアルに体感され、
細胞がアクティベートしている感覚を体感し、
目を見張って、
講座中にこんなことをおっしゃいました。
「こうやって、
人をあっという間に変えられることは、
やり方を間違えるととても危険ですよね・・」
本当におっしゃる通りなのです。
いわゆる見える人、見えない人がいます。
エネルギーを扱うことが得意な人、
そうでない人がいます。
それは、
たまたま算数が得意な人、
数字がからきし苦手な人がいる、
運動が得意な人と運動音痴がいる、
音楽が得意な人と音痴な人がいる、
というのと、同じことなのです。
さらに、
例えば運動が得意の中にも、
ピンからキリまであります。
そして、
それぞれの体(脳)が持っている得意を伸ばすことと、
人間性(精神・意識)の成長とは、
まったく別のものです。
スポーツが得意でも、音楽が得意でも、
根性腐ってる・・みたいなケースは多々ありますよね。
人として、
霊的に大人かどうかは、見える見えないとは
まったく別なのです。
守護霊や天使や、カミサマと話ができたり、
人のオーラが見えたり
過去生がわかったりしても、
本人の意識は子どもで
精神は未熟という場合は往々にしてあります。
でも、
不思議なことに、
世間では、
目に見えないことができる人に畏怖の念を抱きます。
そしてそういう人をすごい人、として扱う。
そしてそういう人が、
未熟な意識のままで、ちやほやされると、
自分はすごい、という勘違いがうまれ、
やがておごり高ぶり教祖になっていく。
人を支配し、依存させ、
操るようになる。
そうしたい、
そうさせたい、という人は、
もちろんそれもありです。
でも、
自分に自信がない状態で
そこの認識が誤ってしまっていると、
霊などが見える人=自分より優れている人、
と思い込みがちですし、
そこを逆手にとったのが霊感商法。
最近は、宗教は通用しなくなったので、
今は協会ビジネスとして、
迷える子羊を迷わせたままにしておくことで、
支配しお金儲けをするビジネスも
ありますよね。
そしてそういった
サイキック的な力は、
エネルギーのコントロールなので、
お金さえ払えば、
あるところまでは身に着けることすら
できてしまいます。
結果として
人間として未熟な状態で
人の過去生などが「見える」ような人が
今はうじゃうじゃいるのです。
この風潮や仕組みを
どう感じるかは、
自分の感性が決めることなので、
その存在自体がNGとは言いません。
教祖のような存在に依存し、
妄信し続けた方が
幸せな人もいるでしょうし。
でも、
大切な家族がいて、
地上での時間やお金は有限です。
そして人は本来自由な生き物、
目の前に大切なものがあって、
自分のことは自分で考えて自分で決めて、
自分を成長させて生きていきたい、としたら、
私は、
見えないものが見える人に、
むやみに人生の舵取を任せない方がいいと思っているので、
人に人生を言い当ててもらう、
ところからは卒業することをおすすめします。
そして、そこを卒業するには、
自分にまとわりついているエゴ(弱きこころ)を
はらう必要があります。
「憑き物が落ちた」という表現がありますが、
エゴが多く弱い心には、
それを食い物にするエネルギーがまとわりつきます。
その憑き物や、
憑き物の大好物である人間のエゴをはらうには、
自分本来のエネルギーを取り戻すだけでいいのです。
本来のあなたは、光に満ちた存在だからです。
というと宗教っぽいけれど、
その人としての自然で等身大の姿で、
機嫌よく、
生き生きしている人は輝いていませんか
それが人としての本来の姿。
邪気をはらわなきゃ!
と邪気に意識を向ければ向けるほど
邪気は増えます。
エゴを心のほこりのように例えらることがありますが、
物理的なホコリは物質なので、
どければそこから無くなります。
でもエネルギーは、
フォーカスした先を増やす、
という性質があるため、
邪気やエゴは
はらおうはらおうとすればするほど
増えていきます。
排除しようとする必要はなく、
ただただ、
闇は駆除するのではなく、
光に照らせばいいだけ。
自分の中に光を増やせばいいだけなのです。
そして、
自分の中を照らせば、
霊的な進化もスムーズになされます。
体に光が満ち満ちるようになる。
結果として、
感性が研ぎ澄まされ、
・直観力が増す(超聴覚、超視覚が強くなる)
・先を見通せるようになる(予知能力がつく)
といったことは、自然に起こりますし、
本来もっている、
自然治癒力のスイッチが入るので、
前述したマダムのように
自分で自分を癒すヒーリングハンドに
自然になっていくのです。
時代が成熟した今、
イエスの時代に、
奇跡と言われたできごとが
自然に執り行えるようになるのは
不思議なことではありません。
ましてや怪しいことでもありません。
それらの力が
怪しいものになるかどうかは、
その力を扱う当事者の
心のありようしだいです。
だからこそ、
超能力と言われる能力をつけたい、
磨きたい、と願うならば、
その際には、
人としてまっとうに、
人間として成長することが
同時になされなければならないと
私は思っています。
私がお伝えしている、
チャクラクリアリング塾では、
能力開発以前に、
その人間としての成長を最重視しています。
結果として、
そこが成長していくにつれ、
人としての器が大きくなれば、
その器で受け取れるものはどんどん増え、
人をむやみに支配せずとも、
特殊能力を無理やり開発せずとも、
自然体で豊かさや喜びと、
そして色んな意味で、
奇跡に満ちた人生となるのです。
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自分の中のエゴをはらい、
人間として進化成長し続けていきたい、
そんな方にこそ、
人が持つ霊的なパワーを養い、
世界を照らす一員になってもらいたい
そう思っています。
チャクラクリアリング塾でお待ちしています。